転職するにあたり、社会人生活の最初の3年を振り返ってみる(2)
東京に来て、ランチの高さに非常に驚いている。
これが東京駅ゆえの事情なのか、はたまた23区内主要地区におけるスタンダードなのかはわからないが…。
前回の続きを。
学生時代の自分を一言で述べると、勉強の重要性等意に介さず、声優を追っかけてはバイト代をつぎこんでいた。
4年時を迎え、周りでは進路の話題でもちきりになった。
前回書いた通り、自分は法学部だったので、
(2)公務員試験の受験
が大多数の進路となっている。
もちろんのこと、勉強をしていない自分がどうこうできる話ではない。
勉強している同期はそれこそ1年時からしているのである。
となると、現実的な進路として、
(3)就職
しかない。
「(世間一般的に)上位層と言われる大学層なんだから、就職など余裕なのではないか」
というような、世間一般からずれた楽観思想を持ちながら、就活生の一員として社会に飛び込んだ。
飛び込んだまでは良かった。
飛び込んだ先での武器が絶望的に足りなかった。
社会における未来の自分を想像したり、社会に対してどうアプローチしたいかなどという考えは元よりなければ、学生時代得た他と一線を画す経験や技術もない。
当然の事ながら試験は連戦連敗を余儀なくされる。
そんな中、東日本大震災が起きた。
面接や説明会などは次々とストップしたのだが、自分の中でうまく理由づけし、就職活動を止めた。
やがて選考が再開したのちも、何もしなかった。
夏、周りで努力していた方々が優良企業、または市場における一流企業に決まる中、追い詰められていた。
当然の事ながら就職留年は家庭の都合上認めてもらえないため、焦る。
やっとの思いで内定をもらった唯一の企業、それが今後の3年間を過ごす事になるF社であった。
一部上場ではないが、JASDAQ(当時)。
全国拠点ではないが、主要都市拠点あり。
内定には即決で返事を返した。
もうこれ以上苦しい就職活動を続けたくはなかった。
さて、このF社。
今でこそ違うが、当時は「情報通信コンサルティング」事業を掲げ、中小企業の決裁者に若いうちから提案により同等の立場で話をできるという触れ込みであった。
コンサルティングという言葉はよくわからないが、響きが良い。
また実力主義というのも自分に合っている。
根拠こそないが、ここで稼げるという思いが自分の中にあった。