転職するにあたり、社会人生活の最初の3年を振り返ってみる(1)
2015年6月末現在、自分は社会人4年目になる。
思い返すと、3年間はあっという間に過ぎてしまっていた。
当時は予想もできなかったが、福岡に東京から飛び、これまた予想もできなかったが東京に戻ってきた。転職というおまけつきである。
これまで我ながら非常にだらしない3年間だったが、これからのために戒めも込めて、少し吐き出そうと思う。
ひとまず、社会人になるにあたり、少し遡る。
【2011.12~2012.3 就活時代】
いわゆるマーチという大学群がある。
その中の一つの大学の法学部に自分は現役で入学した。
高校から合格者が毎年出る訳ではない(らしい)レベルのため、受験に際しては色々苦労した。
恐らく人生で一番勉強していた時期だと思う。
さて、そんな大学に滑り込みで入った事で、当初は親族からも「将来は法曹だな!」とちやほやされ、自分としても悪い気はしなかった。
HEROの作中で木村拓哉が演じるキャラクターの様な素晴らしい未来を思い描いていた。
しかしながら、大学当時の自分はというと、学業そっちのけで声優を追っかけていた。
中学3年からふとしたきっかけでファンになった水樹奈々嬢である。
大学に入学し、初めて自分の給料からライブに行った時のことを未だに覚えている。
刺激が強すぎた。DVDの中の彼女が目の前にいる事がとても素晴らしい事だった。
そして、ありとあらゆるグッズにバイトの給料を全てつぎこみ、給料が足らなければシフトを増やす機会が増えた。
常識的に考えて、学業に割く意欲は全く湧いてこない。
そうなると今度は、学業に励んでいる人と自分を比べ、自分を卑下するようになる。シンプルな物とすれば、「あいつらは元から頭が良いから」とか。
彼ら、彼女らの輝かしい実績の裏には間違いなく努力した過程がある筈なのに、あえて目を背けていたと思う。
ライブに行き過ぎて単位を落としつつも、どうにか進級を続け、当然ながら大学4年を迎えた。
余談だが、うちの大学は2年次から3年次に上がる際にスクリーニング制度(単位足りなかったら2年次でも留年だよというもの)がある。
散々単位を落とした自分でも通過するザル制度ではあるが、これに引っかかった同級生が一人だけいた。
多分彼は相当の強者だったと思う。それほどまでに想像の範疇を超えていた。彼の話は本人の許可を得た後、またの機会に投稿すると思う。
そんなこんなで無事最終学年で進級し、周りに漏れず、自分も進路を考える様になる。